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宮原(みやばる)神社~盛武姓の由来がここに

北川散策⑪~神社巡り・その2

 宮原神社=北川町長井4487=御祭神は「水波女命(みずはのめのみこと)」と「佐伯惟治霊(さえきこれはるのみたま)」。本殿は、千鳥破風造りで広さは約1坪、拝殿は、切妻造りで14・1坪。千鳥破風とは、三角状にせり上がった屋根の装飾の一種。入母屋とは、日本建築の代表的な屋根の形で、上部が切妻造り、下部が寄棟造り。お城や神社・仏閣で良く見られます。創建は不詳とされていますが、「宮崎県史蹟調査」によると、安永8亥年(1779)12月8日に延岡城主・内藤能登守政脩により社殿が再建され、寛政2年(1790)12月3日には延岡城主・備後守代祠官だった井本対馬守藤原實久により鳥居が再建されており、歴代城主が厚く崇拝する社だったことが伺えます(宮崎神道青年会「宮巡」より)。明治4年11月に長井神社に合祀されましたが、同15年に再復鎮座されました。本社の御祭神「佐伯(大神)惟治」は豊後佐伯の城主でしたが、大友氏に追われ三川内の尾高智山で自害したと伝えられています。享年33歳。惟治の墓所は、北浦町大字三川内橋ケ谷の山腹にあります。入口鳥居に向かって右横に「佐伯惟治家臣供養塔」と「長袖様碑」。「長袖者」(ちょうしゅうしゃ)とは、「長い袖の衣服を着る身分や階級の高い人」のことで、碑文には「公家、医師、神職、僧職、学者などが豊後の国宇目郷・酒利(さかり)村を所領としていた盛獄(もりたけ)氏の末裔がこの地に移り住み、『盛武』の名を名乗ったといわれ、盛武氏の祖と云われている」と記されています。「宮原治水事業記念碑」は、明治3年に建立。用水工事は、旧延岡藩・滝口常裕を筆頭に着工し、約70ヘクタールの水田を潤したと伝えられています。完成を記念して「罔象女命(みつはのめのかみ)」(日本における代表的な水の神)を祀り、水防や豊穣を祈願しました。罔象女命は、アニメ映画「君の名は。」の主役、「宮水三葉」の「みつは」の由来になったと言われています。

 

 

 

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