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長井(ながい)神社~大友宗麟の侵攻で社殿焼失

北川散策⑳~神社巡り・その12

長井神社=北川町長井本村5512=古代律制の頃に日向十六駅の一つ「長井駅」が神社の東側に設置されていたと伝えられていますが、具体的な場所は確認されていません。本社の創建は、伝承によると崇神天皇57年(紀元前四一)12月とされていますが、明らかではなく、古くは朝日妙見、妙見神社と称し、「目の神様」として崇拝されてきました。天正6年(1578)、大友宗麟の日向侵攻の兵火により社殿が焼失し、由緒書・宝物などことごとく焼失したという。所蔵の棟札によると、宝永6丑年(1709)本殿再興、享保元辛酉年(1716)10月18日、鳥居再建、安永7戊戌年(1778)、本殿再建、寛政3亥年(1791)9月1日、拝殿再建とあり、本殿の建て直しなどが度々繰り返されていることが伺えます。明治4年11月、馬鎮神社など11社を合祀し、「長井神社」と改称、郷社に列せられました。明治40年2月には神饌幣帛料(しんせんへいりょう)を供進すべき神社に指定されました。御祭神は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)素盞鳴命(すさのおのみこと)稲田姫命(いなだひめのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)佐伯惟治霊(さえきこれはるのみたま)大年神(おおとしのかみ)天石門別神(あめのいしかどわけのかみ)菅原道真公(すがわらみちざねこう)倉稲魂神(うかのみたまのかみ)。本殿(流造)4坪 拝殿(切妻造)10坪例祭は1月6日。

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