1. HOME
  2. ブログ
  3. 八戸出身の梓山~江戸時代の剛腕力士

八戸出身の梓山~江戸時代の剛腕力士

北川散策④

江戸時代後期の力士、梓(あずさ)山は、北川町八戸の出身です。町史などによると、「梓山」(岩ケ濱)は、大層力が強く、草相撲の大関を張るほど。ある時、「本場に行って取り組んでみたい」と江戸に上り、強豪を次々と破りました。その帰途中、腹痛を起こして亡くなったとされています。本場、江戸のお相撲取りが、「おめおめと国に帰す訳にはいかない」力では敵わないと、毒を飲ませ殺害したされています。墓標は、八戸の集落の西の外れにあり、台座に「法名釈宗院不退位」と書かれていたようですが、現在は摩滅し、字が読み取れないほど。「岩ケ濱」の力にあやかろうと、参拝者が少しずつ削ったのではとされています。写真は八戸の集落、道路沿いの緑陰に立つ、梓山のお墓。碑面には「岩ケ濱」の字。「腕力に優れ地方の大関となり、後年江戸に上り、大相撲の大関に勝ち、帰途中、怨念により毒殺された」と書かれています。
四股名の由来となった梓山は、北川町と佐伯市宇目町が接する所にあり、標高579メートル。その昔、日向国と豊後国を行き来する人々はこの梓峠を往来しました。寛永年間(1661~73)に勃発した国境論争の際、梓峠の山嶺が日向と豊後の国境と定められ、それがそのまま現在の宮崎・大分県境となったとされています。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事