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下塚(しもつか)神社~城主領民が厚く崇拝

北川散策⑳~神社巡り・その12

下塚神社=北川町川内名字矢ケ内前1224-1=久安4年(1148)5月の創建と伝えられていますが、真偽は定かではありません。もともと「観音山」の地に鎮座しており、兼ねてから熊野神社と称していました。北川村史には、「元禄年間の延岡藩と岡藩(大分の竹田藩)との国境争いの折、両藩の関係者が熊野権現社の前に集まり誓詞を行った」とあります。所蔵の棟札によると、延宝3年(1675)3月に再興、安永2年(1773)4月には延岡城主・内藤備後守代神主黒田参議、官主渡邊類右衛門により再興、更に文政9年(1826)11月には、延岡城主・内藤備後守藤原政義代神主甲斐対馬藤原一陽により再興(『宮崎県史蹟調査』)とあり、歴代城主領民の厚く尊崇する社だったことが伺えます。明治4年11月に葛葉山天満神社、荒平山天満神社、樅木原山神社、迫ヶ谷山天神社、楮ノ市稲荷神社を合祀し「下塚神社」と改称、村社に格付けされました。葛葉山天満神社、荒平山天満神社同15年に復社。御祭神は、伊弉冉命(いざなみのみこと)速玉男命(はやたまおのみこと)事解男命(ことさかおのみこと)倉稲魂命(うかのみたまのみこと)菅原道真公(すがわらみちざねこう)天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)。本殿(千鳥破風造)1.5坪 拝殿(切妻造)10坪。例祭日は12月12日。

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