「天神社」俵野(ひょうの)~境内裏に中津大四郎の墓所
北川散策㉛~神社巡り・その22
天神社・俵野=大字長井俵野675-1=創立年月日、由緒など不詳ですが、棟札によると、万治3年(1660)3月と貞享元年(1684)11月に延岡城主有馬家、天明2年(1782)6月8日に同城主内藤家により社殿の再建が行われており、領主領民の篤厚く尊崇する社であったことがうかがえます。明治4年11月に長井神社へ合祀されましたが、住民の出願により、同13年3月10日に復社を出願、8月に許可され、9月1日に復社しています。御祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。本殿(流造)は2坪 拝殿は(入母屋造)11.3坪。例祭日は、12月22日。
地名の『俵野』は、元来「火生野」と標記され、コノハナサクヤ姫が、燃え盛る産屋で「火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)」の三皇子をお生みになったことから、「火生野」(ひうの)と付けたと伝わっています(「延岡附近の神代遺蹟と傳説」より)。




↑西南戦争で薩軍の解散布告令を受け、明治10年8月16日に神社裏で自刃(じじん)した竜口(りゅうこう)隊隊長・中津大四郎(享年34)の墓が境内の西側山中にあり、『義乎立志 身波此山爾捨天名乎 末野世爾萬天 乃古須宇禮志佐』(義を立てし 身はこの山に捨てて 名を末の世にまで遺す嬉しさ)の辞世の句が刻まれています。自刃の際に大四郎は天神社の神主に金銭を渡し、自身の墓を建て辞世の句を刻むよう頼んだ、と伝えられています。

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