学問の神様~御頭神社で大祭 北中3年生が参拝
学問の神様、頭の病気を治す神様~として信仰される「御頭(おとう)神社」(北川町瀬口)で1月15日、恒例の大祭が開かれました。北川中学校(小野秀俊校長)の3年生やその家族など、早朝から大勢の参拝客が訪れにぎわいました。大祭は、地元、御頭神社奉賛会(須藤寛之会長)が主催。午前9時半から神事をした後、境内で餅まきが行われ、約50キロの紅白の餅がまかれました。校長や担任の先生の引率で神社を訪れた3年生13人は、賽銭を入れ、手を合わせて志望校合格を祈願。接待した奉賛会の会員らから「頑張って」と温かい言葉が掛けられました。また、合格を祈願し町内産のスイートピーの花が一人一人に贈られました。生徒たちは絵馬に願い事を書くなどして神様に合格を祈願していました。県立高校の入試は2月4日に推薦入試、3月4日と5日に一般入試が行われます。






御頭神社は、学問の神様、「豊後(大分県)の佐伯栂牟礼(とがむれ)城主・佐伯惟治(さいきこれはる)公」を祭っています。今から600年以上も昔の話。惟治公は、若くして優れた政治を行い、民や家来の信望を集めていました。しかし、その権勢を妬む輩が、「惟治は謀反を企てている」と大守である大友義鑑(よしあき→大友宗麟の父)に事実無根の告げ口をします。惟治は、「決してそのようなことはない」と言い張りますが、日頃から彼を快く思っていなかった義鑑は、臼杵近江守長景に「惟治を殺せ」と命令します。長景は2万の兵を挙げて、栂牟礼(とがむれ)城を攻めますが、険しい山城をどうしても落とすことができません。そこで、惟治を騙すために使者を送り、「私が義鑑公の怒りを解くから、この城を明け渡して、日向の国に身を寄せなさい。」と伝えました。惟治は、この言葉を素直に信じ、可愛岳(延岡市北川町)に身を寄せますが、いつまでたっても長景から連絡はありません。しびれを切らした彼は、伊予に出ようと決心し、家来を率いて北進します。三川内(延岡市北浦町)の尾高智山(おたかちやま)に来たところで、長景の命令を受けた一行に出くわし、ここで惟治は必死に抗戦しますが、多勢に無勢、ついに彼は33歳の若さで悲憤の最期を遂げます。大永7年(1527)11月のことでした。生き残った家臣の一人は、主君の首を敵に渡してはならないと、小袖に包み、暗闇の中を懸命に逃げのびました。敗走の途中、疲れを癒すため瀬口の宝泉寺(現在の御頭神社付近)で一息つくことに。休憩の後、出発しようと思い、木にかけていた小袖の包みを手に持つと、不思議なことに、それが急に重くなり、どうしてもその場から動かせなくなりました。家臣はどうしてよいか迷い、事の次第を宝泉寺の住職に打ち明けます。すると住職が読経を唱え、惟治の首を境内に手厚く葬ってくれました。住職が、毎年祭祀供養を施すことで、惟治の霊はようやく鎮まり、「御頭大明神」として人々から慕われるようになりました。その後、文武両道に優れていた惟治公は、学問の神様として信仰を集めるようになり、受験シーズンには町内外から多くの人達が合格祈願に訪れています。また、この神社は、頭の病気を治す神様としても御利益があるそうです。




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