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民家を野戦病院に~薩軍松瀬包帯所跡地

北川散策㊵・西南戦争 9
 薩軍松瀬包帯所跡(大字川内名字松瀬荒平山)=西南戦争は明治10年6月、薩軍は豊後口突破を最重要作戦とし野村忍介(おしすけ)を総指揮長とする騎兵隊二十三個中隊を編成し、豊後口(大分県境)に投入しました。県境の戦線は、東の陸地(かちじ)から西は梓山(あずさやま)まで延び、6月中旬以降は連日戦闘が繰り広げられ、死傷者が続出したため、松瀬の矢野春季(かすえ)氏宅を「包帯所」(野戦病院)として利用、負傷者を治療しました。宅前には「薩軍松瀬包帯所跡」と書かれた標柱が建っています。
 西南戦争では、熊本、宮崎、大分、鹿児島が主要な戦場となり、多くの負傷者が出たため、戦場で負傷した兵士の治療を行う「包帯所」は重要な役割を果たしました。熊本県玉名郡玉東町の「徳成寺」は 、西南の役当時、野戦病院を置き、 敵味方分け隔てなく負傷した人々を救護・療養したところで、「文化庁」によると、現存している唯一の建造物です。このご縁により、熊本県また玉東町は「日本赤十字発祥の地」といわれています。「西南の役」当時、多数の戦傷者を収容できるのは主に寺院だったそうです。その一つが徳成寺本堂で仮包帯所と呼ばれました。仮包帯所では、弾を抜く、消毒、骨をつぐといった応急的な手当てが行われました。徳成寺の山道右脇に「官軍病院阯」および「日赤発祥之地」と刻まれた石碑が建っています。徳成寺は、旧三池往還より少し奥まった木葉山の麓に位置しています。玉東町には、他にも「官軍墓地」や「戦線の遺跡」など、西南の役にゆかりのある場所が点在しています。
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