榎(えのき)さん~神が宿る木・・少彦名命を祀る






北川散策㊸
子供相撲でにぎわう~
榎さん=北川町字長井大字家田=は、集落内に建てられた少彦名命を祀るの石碑や小祠で、エノキの近くに立てられたことで通称が「榎さん」。日本各地にも、「近くに大きな榎があった」、「榎そのものを神が宿る木として敬った」~などで「榎さん」と呼ばれる祠が多くあるようです。家田にある「榎さん」の石碑は、銘文から江戸時代中期の延享元年(1744)年に建立されたものだと思われます。当時の家田周辺の住民や講中、または近隣の氏子たちによる勧請の一環と考えられます。
「少彦名尊(すくなひこのみこと)=一寸法師の名で呼ばれた稲作の神様=を祭り、旧4月1日が祭日で、神事のあと子供相撲などで賑わったようです。耕地整理の際、現在位置に移転されました。台座には、「長井村」と刻まれています。
北川町と町教育委員会が昭和58年3月に発行した「高齢者の生活誌『谺』(こだま)」より抜粋。
『今はもう、その広場は形を失ってはいるが、第二次世界大戦の敗戦(昭和20年)直後までは、集落(家田)の中央付近に当たる(現・岩佐憲治氏宅の前方)、広場に、「榎神社」という田ノ神が祀られていた。広さ二畝歩(140平方㍍)の真四角な広場に、樹齢数百年の、榎(エノキ)の老樹の根元に、小サイ社があって、毎年陰暦四月一日には、にぎやかなお祭りがもよおされていた。集落の人達が、お昼から、飲み物や手作りの御馳走を持ちよって、家族総出でお祭りを楽しんだ。社にシメ縄を張り、五穀を供えた。別に神主がくる訳でもなく、ただ村人達の「和」をもって楽しみあうだけのお祭りであった(中略)中でも、最大の出シ物は子供相撲で、家田の若者達は、みンなこの相撲で負けたり勝ったりし乍ら育ったものだと言っていいだろう・・・。』
「音頭とともに 黒木重代司一代記」(松原武美著)=平成31年発行・延岡市立図書館蔵書=には、次のように書かれています。
『耕地整理(農業構造改善事業)の主目的は、一枚の田や畑を広くして機械を入れやすくし、灌漑設備を敷設し、各戸があちこちにバラバラに所有していた水田を交換分台によって一ヶ所に集めることである。それが徹底的に敢行された』
『湿地の近くに榎木(えのき)神社という由緒ある神社があったが、農業構造改善事業により、要するに水田を広げるために昭和四十二年(1967)に撤された。榎木神社の旧暦四月一日の祭礼は、地区民から身祈祷(みぎとう)と呼ばれる厄払い行事であった。子供相撲も盛んにおこなわれた。旧長井村時代は、ニニギノミコトを祀る俵野の御陵墓祭(可愛岳山麓)、本村の郷社長井神社の妙見祭(妙見さん)とともに三大祭りといわれていた』(原文のまま)

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