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駱駝落て(ち)~移動動物園のラクダが小川に

その昔、「万(萬)里峠」と呼ばれた国道10号・市棚トンネル上の曲がりくねった旧国道。北川の支流、小川(こがわ)の深淵を見下ろす崖っぷち辺りに「駱駝(らくだ)落ち」とか「駱駝落て」を呼ばれる地名が残っています。年配の北川町民なら一度は聞いたことがある地名だそうです。

 言い伝えなどによると、明治22年ごろに見世物の移動動物園がこの地を通りかかった際、断崖絶壁に架けられていた丸太の橋を渡ろうとしたラクダが足を踏み外し、深い川渕に転落しました。爾来、「駱駝落ち」とか「駱駝落て」と呼ばれるようになったそうです。

 深瀬地区と市棚を結ぶこの旧国道が開通したのは明治25、6年ごろ。ラクダが落ちたのは、それ以前のまだ整備されていない「街道」時代、22年ごろの話だそう。当時の街道は川沿いをうねうねと走る酷い交通の難所で、絶壁に丸太ん棒が数本並べられただけだったようです。こんな時代に見世物の興行がこんな難所を通ったというのも驚きです。

 深瀬地区から国道10号を北上し、左手に石橋として知られる「万地橋」や庚申塔群を過ぎ、正面に見える市棚トンネルの手前に、左斜め上に延びる旧道が見えます。左折し300メートルほど上ると、崖に沿って急なカーブが連続します。眼下に北川の深い淵を見下ろす辺りが「駱駝落ち」だと思われます。当時は、崖に木組みの丸太が渡しているだけ、人がやっと通れるほどの酷道だったのでしょう。

ここから、さらに、北へ約300メートル進むと、市棚駅方面に通じる道と足久(あしびさ)の集落に降りる道の分岐点付近に「牧の砦跡」の標柱が立っています。瀬口地区と深瀬地区の境界付近、小川右岸の小高い台地にはその昔、砦(とりで)がありました。天正5年(1577)10月、大分の臼杵を発って日向入りをした約4万の大友宗麟(そうりん)兵団は、耳川での敗戦まで約2年間各地で合戦を繰り広げました。牧の砦は、大友軍最北端の要所で、臼杵(大分県)の本城と、無鹿の本営→各地の戦場などと結び、物資・通信における重要な砦だったとされています。砦の下の牧の集落(深瀬地区)には合戦には付き物の刀鍛冶がおり、対岸の山上には鐘つき山が置かれ、鐘の打ち方で様々な合図を送ったと伝えられています。こんもりとした丸い山「鐘つき山」の地名は今も残っています。この山頂に釣鐘を構えていて、対岸の砦と連絡をしていたそうです。

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