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伝統の虫追い行事~家田地区で8月13日に

北川町の家田地区に古くから伝わる農事風習「虫追い」が8月13日夜、同地区の公民館周辺の田で行われ、松明を手にした小中学生16人を含む地区民約40人が、揃いの法被を着て、「ともやともや おんともや よろいのむしもおんともや さねもりどんの ごじんたち あとはふっきり まんさくじゃ」囃子詞を唱えながら田んぼの脇の道を歩き、豊作を祈願しました。同地区の虫追いはコロナ禍で一時中断しましたが、2022年に復活後、毎年お盆の13日に行われています。主催は「北川家田虫追い保存会」(会長・黒木利和家田自治公民館長)。

「鉦や太鼓、囃子詞で虫を追いたて、明かりで誘い、川まで送る」~虫追い行事は、稲に付く害虫「ウンカ」(浮塵子)を追い払う農耕儀礼で、農作物につく害虫を駆除・駆逐し、その年の豊作を祈願する呪術的行事です。昭和初期まで全国各地の農村で見られた年中行事で、稲田に害虫(さべ)が出るころになると、青年や子供たちが松明を持って集まり、鉦や太鼓を打ち鳴らし、囃子言葉を唱え、田んぼのあぜ道を歩き、最後は河原で松明を燃やします。

「平家物語」でも知られる平安時代末期の平氏武将・斎藤別当実盛(さねもり)は、「篠原の戦い」で乗っていた馬が田の稲株につまずいて倒れ、源氏方の敵兵に討ち取られてしまいました。その恨みゆえに、稲虫(稲につく害虫)と化して稲を食い荒らすようになったとい言い伝えられています。稲虫(特にウンカ)は「実盛虫(さねもりむし)」とも呼ばれ、主として西日本では、「実盛の霊を鎮めて稲虫を退散させる」という由来を伝え、「実盛送り」とか、「実盛祭り」とも呼んでいます。この、「さねもり」という語は、田植えの行事「サノボリ」(早のぼり)が転訛したという説もあります。

暑い最中の8月中ごろ、鉦と太鼓に続いて、松明を灯した子供たちが、田んぼの周りを歩きます。こうすることで、稲の大害虫のウンカが火に誘われて焼かれます。文字通り「飛んで火に入る夏の虫」です。

北川町では家田地区だけで継承されており、戦時中の3年間と昭和25年頃から同52年まで途絶えていましたが、同53年(1978)年8月、「温故知新の会」の黒木重代司会長が、子供会行事として復活させました。黒木会長の没後は、「北川家田虫追い保存会」が伝承しています。平成15年2月27日、北川町無形民俗文化財に指定されました。

北川町史には次のように書かれています。『家田の虫追い行事は、夕方暗くなる頃、地区の北部、字牟田に集まり、松明を各自手にし「ともやともや おんともや よろいのむしもおんともや さねもりどんの ごじんたち あとはふっきり まんさくじゃ」という囃子詞を唱えながら田んぼの脇の道を歩き、北川の堤防を越え、河原で松明を燃やしました』

囃子詞を漢字で書くと~「供やぁ 供やぁ 御供やぁ よろいの虫も 御供やぁ 実盛どんの ご陣立ち あとはふっきり 満作じゃ」になります。

昭和58年3月に北川町が発行した『高齢者生活誌「谺」(こだま)』(北川町、北川町教育委員会、北川町生活誌編纂委員会・矢野林之祐委員長)には、以下の記述があります(原文のまま)。

『田んぼに虫が多く発生した年には、虫追いが行われた。松内(須美江越登り口)の奥地の山田から、新川(飛石の前の川原)まで、無田だけではなく、家田地区の稲田に対して行われた。長さ1㍍ほどの松明を灯して、地区の人達は家族ぐるみで虫追いに加わった。

チンチン ドンドン チン ドンドン にまじってタマにはややお調子くずれの踊りまでもトビ出し、夜空に打ち上げられる空砲の響き、それは大変なにぎわいであった。田の畔から、村道から、松明の火の粉に、舞いこんでは、焼き落ちる田ノ虫の有様は、小気味よいものであった。虫追いの終点は、トビ石の前の新川の川原である。燃え残りの松明を、一ヶ所に、次々と放りこんで、焼きすてる。この松明の火柱が、また夜空に火の粉を舞い上がらせて、美事な光景で、その夜景の様相は美しいというよりも、いささか荒気味の火祭りでもあった」(原文のまま)』

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